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プレス情報

「大徳寺養徳院仏間襖絵制作記念作品『瑞兆の図』」

昨年2月に大徳寺養徳院の開祖實傳宗眞(じつでんそうしん)禅師の五百年御遠忌(2007年)を機縁に、十二代藤林徳扇並びに長男宏茂、次男徳也と共に奉納させていただいた客殿の地袋の襖絵を、アート作品として生まれ変わらせ、それを一般のお客様に向けた販売を通して、現存する客殿の「鶴の間」を未来永劫保存可能な襖絵として制作し直し、新しい大徳寺養徳院の歴史を一般の方々と共に創造し継承していこうとするプロジェクトとなっております。

大徳寺とは

大徳寺

大徳寺は、正中2年(1325年)に創立された日本臨済宗の本流で、応燈関の法脈の中枢をなす一大禅刹であると共に、建造物,庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画などの文化財を数多く有し、現代日本文化の源泉でもある。応仁の乱により灰燼に帰した後、一休宗純和尚により再建されたことは有名であるが、特に大徳寺と豊臣秀吉、千利休居士との強い結びつきが世に多大な影響を与え、戦国大名が競って大徳寺の参従となることで多くの塔頭が建設され、同時に茶の湯の文化を確立した舞台となった。境内には20を超える塔頭があるが、その全てにおいて、日本の建造物や宝物を後世に伝えていく佛教の中核としての存在となっている。

養徳院とは

開祖は56世実伝宗真禅師。始まりは、室町幕府三代将軍足利義満の弟満詮(みつあきら)が亡夫人のために、東祇園に娘の竺英を住持とする妙雲院という尼寺を開いたことによる。 そして竺英尼が大徳寺の春浦宗煕に帰依したことで、妙雲院を僧寺・養徳院と改め、後に 實傳宗眞禅師が大徳寺内に移し現在に至っている。
庭は大徳寺には珍しい池泉式庭園で杜若の季節が特に美しく、茶室「閑事庵」が客殿の北側に置かれている。

日経カルチャーで確認

販売商品

瑞兆の図(全4種)

作品サイズ :(各々)316mm×294mm(額装含む)
(アート部分)244mm×223mm
 通し番号付き/専用額/額立足(アクリル)付

スペシャル企画 <購入戴いたお客様の為に~> ※・・・対象は4枚セットのご購入者限定となります。

大徳寺養徳院の歴史に名を刻ませていただきます。
お客様のご住所/ご芳名を、襖の下張りに納めさせていただき、未来永劫養徳院内に保存させていただきます。
<気綱(きづな)>を深める為のご参拝はご自由です。
通常非公開場所となっていますが、お客様には特別にお参りが可能となります。
客殿の新しい「プラチナの鶴の間」の完成は、次の歴史の創造事業です。
今回の収益の一部の活用によって、伝統工芸作家でユネスコ作家としても知られる十二代藤林徳扇先生が手掛けられる新たな「プラチナの鶴の間」の完成は、次の新たな養徳院の歴史を刻む、お客様との協同事業となります。

販売内容

<保存証明書>

印刷仕様 銀箔特殊紙使用 高精細印刷8色刷
販売価格 1. 全4枚セット 500,000-(税別)
2. 1枚    150,000-(税別)
販売数量 1. 全4枚セット 限定100セット
2. 1枚 限定無し
その他 作家の落款押印
神波住職による、ご芳名の手書き保存証明書付
販売開始 2012年5月より
納品 6月より順次配送
※ 神波住職によるご芳名の保存が終了次第となります
発売元 株式会社日経カルチャー

日経カルチャーで確認

作品の飾り付けは、ご自由に選べます

ごあいさつ

≪大徳寺 養徳院 住職 神波 東嶽≫

今回皆様にご覧戴く作品は、開祖像を安置する須弥檀下の「地袋の襖絵(瑞兆の図)」の一部であり、養徳院の開祖実伝宗真禅師の五百年御遠忌(2007年)を機縁に、約十年の時間を掛けて奉納されたものです。
またこの襖絵は、ユネスコ作家として世界的にも著名な京都の伝統工芸作家である十二代藤林徳扇先生とご長男宏茂先生及びご次男徳也先生が手掛けられ、宝石箔で描かれたその美しさは、他の寺院では見られない輝きを放ち、永遠に留めていくにふさわしい襖絵となっております。

そしてこの度、養徳院客殿の経年劣化が激しい鶴の障壁画をご覧になった藤林徳扇先生より、人生を賭けて半永久的に保存可能な「プラチナで彩られた鶴の間」を完成させたいとの言葉を頂戴し、ならば奉納された襖絵の一部を全国の皆様と共有し、多くの方々と共に養徳院の新しい歴史を刻めれば、との想いで本作品が生まれた次第です。 ご共鳴いただける方々との語らいを養徳院で実現できることを、心から望んでおります。

日経カルチャーで確認

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